あたりまえじゃない
このGWで、普段観ないジャンルの映画を観てみました。
「レ・ミゼラブル」と「万引き家族」。
偶然なことに、どちらの映画にも「貧困」が背景として描かれています。
ともに考えさせられる作品でした。。
特に、レ・ミゼラブルが名作と言われる所以が理解できました。
そして立て続けに観たおかげで、その後どっぷり落ち込みました(笑)
時代背景や国が違えど、上記の作品に共通する事は「スポーツが入り込む余地が1ミリも無い」事です。
野球に限ったことではありませんが、スポーツにせよ文化活動にせよ、経済的な理由でその活動を続けられないという環境下にある人は、どの時代にも少なからず存在していることでしょう。
幸いなことに、日本では奨学金やさまざまな援助によって、そのような環境下にある人にも活動を続けていくチャンスが作られることも多くあります。
しかし、自分の住んでいる国自体が貧しかったり、疫病が流行ったり、絶えず戦争が起こっていたり…
自分ではどうにもならない状況により、生きていくだけで精一杯な環境下にある人たちには、「野球がしたい」「音楽がしたい」「小説を書きたい」といった発想をする選択肢自体が無い場合が多いわけです。
私たちが、野球に触れていることで感じることのできる
楽しさ。生きがい。感動。夢。
これらが全く何も無いのです。
この思いが生まれることも無いなんて、と思うと恐ろしさで心が震えます。
まだ続くであろう長い自粛中に今回の映画を観たことで、あたりまえすぎて感じることもなかった「何の不自由も無く野球ができる」ことに対する有難みに気づかされました。
そして、自粛前を振り返るだけではなく、いつか来る再開の日への準備を怠らないようにしなくては!との思いを強く感じたのでした。
さて、前回、自分への課題を見つけて子供に見せつける作戦を立てましたが、これにしました。
筆者、投球フォームがおかしいのです(笑)
我が蒼天セイルズの代表とHCに指導を仰げば超近道な事は分かってはいるのですが、
ここは敢えて子供に指導してもらっています。
親の威厳が崩壊しつつありますが、あたりまえに感じていた
「子供に教える、親に教わる」
ではなく
「子供に教わる、親に教える」
こんな親子の場面もいいもんですね。
フォームが直ったら(自慢げに)皆様に報告したいと思います(笑)